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店長のハナです。いつも「リサイクルきもの華」をご愛顧頂きまして、ありがとうございます

【心の歌】

万葉集 防人歌(さきもりのうた)4323番 作者: 丈部真麻呂(はせべのままろ)
時々の、花は咲けども、何すれぞ、母とふ花の、咲き出(で)来(こ)ずけむ
 (現代語訳) 季節ごとに花は咲くのに、どうして「母」という花は咲かないのだろうか。(咲くのだったら手折っていっしょに行くのに)。

  この歌は天平勝寳(てんぴょうしょうほう)7年(755)2月6日に交替要員として筑紫(ちくし)に派遣(はけん)された防人(さきもり)たちが詠んだ歌のひとつです。
 防人として遠く筑紫に旅立つことになった作者は、どんな気持ちでこの歌を詠んだのでしょうか。 おそらく二度と生きては故郷には帰れないという気持ちだったのかもしれません。母を家に残してひとり旅立つ、作者のつらい気持ちが切々と伝わってくるようです。子どもにとって母親という存在は全ての全てです。自分のことを無償で愛してくれる、本当にかけがえのない大切な人です。

防人には東国の人たちが選ばれたと言います。任期は3年で、毎年2月に兵員の三分の一が交替とのことですが、実際にはそう簡単には国に帰してはもらえなかったようです。
東国から行くときは部領使(ぶりょうし)という役割の人が連れて行きました。もちろん徒歩(運よければ船、裕福な人は馬)で北九州まで行くのですが、当時の人たちにとってとても辛い旅だったことは間違いありません。しかも、帰りは自費だったので、帰りたくても帰ることができない人もいました。たとえ無理して帰路についても、故郷の家を見ること無く、途中で行き倒れとなる人たちもいたと言います。

【ハナのひとり言】  
私の母は今から約10年ほど前に亡くなりました。母はとても几帳面な人で縫物がとても上手な人でした。家が貧しかったので、着るものは殆ど手作りであったことを覚えています。ワンピース、セーター、毛糸で編んだ帽子にマフラーに手袋・・・など、生活に必要な衣服やカバンにいたるまで全部母の手作りでした。今思えばよくもまあ6人の子供をかかえて、それぞれの子供たちを育てながら、休みなく働くことができたのか、心臓病を抱えて体の弱い人だったのに。おそらく生きて行くのにただ必死だったのだと思います。子供の世話に明け暮れて疲れ切って、だから母はよく怒ってばかりいました。そしてとても厳しい人でした。それが子供心にとても悲しくて、寂しい思いもいっぱいしました。あの時は母の愛に気付かなかったけど、今は理解できます。母は本当にすごいことを私たちにしてくれたのだと・・・。

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